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15. プレゼンごっこはやめよう

勝てるプレゼン?

最近、プレゼンテーション(以下、プレゼン)のやり方や技術について書かれた本が一杯出ているが、アレは如何なものか?ほとんどが「プレゼンのテクニック」というよりは「パワーポイントの使い方解説」みたいな内容に見える。

そもそも、プレゼン自体に技術は必要なのか?テクニックを駆使して行うものなのか?PowerPointがうまく使えれば、良いプレゼンが出来るのか?

大体、「勝てるプレゼン」とか言うが、一体何に勝つのか?コンペに?競合他社に?だとすれば、勝ち負けが「その時のプレゼン次第」っていう発想がそもそも凄い。ディベートの大会じゃあるまいし、その日のそのプレゼン次第で勝ち負けが決まる…っていう、そんなイチはバチかみたいなプレゼンしてる事自体が、そもそもヤバくないか?それより、プレゼン次第で勝ち負け(=受注)が決めるコンペに持ち込まないようにするべきじゃないのか?そんな風にならないように、事前にネゴするとかして、プレゼン前に勝負決めとけよ!と言いたいところではあるが、まぁ、そうは言っても、未だに日常的にコンペ・プレは行われてるし、会社によっては、公平性を保つ為に、(複数社による)コンペが義務付けられているところもあるので、コンペ(競合)自体は仕方ないとしても…、

そのプレゼンのやり方についても、「その場にいる全員をファンにしろ」とか「虜にしろ」とか「イニシアティブをとれ」とか「ドラマチックに演出しろ」とか「感動を与えろ」とか…、書いてあるけど、そんなのムリだって!本に書いてあることを、実際にそのまま実践する人は、いるのだろうか?本を書いている先生方はどうか知らないが、少なくとも我々一般人が同じことをしようとする場合に、実行を難しくしている要因が2つ考えられる。

まず、1つは、プレゼンの仕方(=テクニック)にフォーカスしてるって事は、ここではプレゼンの内容自体については問われていない。つまり、プレゼンする内容は完璧である、という前提に立って、その後の事(発表の仕方)について説明している。でも実際は、そんなことはない。

「プレゼン内容が完璧である」なんてことは、ほとんどないだろう。プレゼンがうまく行かないのは、企画(書)自体に問題がある場合が多いのだ。v私の経験では、「徹夜明けで、ほとんどハイ状態で、喋る声も裏返って、1オクターヴ高くなって、自分で何喋ってるか分からないような最悪のコンディションで臨んだプレゼン」でも、通るものは通る。(決して誉められたことではないので、良い子のみんなはマネしないでネ!)その逆で、どんなに良い条件で臨んでも、内容のツメが甘いときには、1ページの説明の最中からツッコミが入り、ボロボロになる時もある。

 

もう1つは、受手側=クライアント側が準備万端である、つまり、相手がちゃんと話を聞いてくれる体勢にある、という前提に立っている。でも、これも実際には難しい。

必要最低限の人だけ聞いてくれればいいのだが、何故か凄い大人数だったりする。そしてその中には、居眠りしてる人も居れば、「何で呼ばれてきたか分からない」という顔をしている人もいる。他にも、内容にカンケーなくひたすら揚げ足を取る人、いちいち話の腰を折る人、何故か最初から喧嘩腰の人…などなど。先ほどの「内容のツメが甘いときには、1ページの説明の最中からツッコミが入る」というのも、あくまでクライアント側がちゃんとしてる場合の話だ。vクライアント側がちゃんと聞いてくれる状態になってなければ、何をやってもダメ。ドラマチックな演出も、感動を呼ぶはずのシナリオも、空振りして「寒いだけ」。こちらの言うことがどんなに正しくても、筋が通っていても、クライアント側が聞く体勢になっていなければ、通じない。

2つとも、言わば「プレゼン以前」の問題である。

この両方の要素が完全に満たされていれば、そこで初めて「プレゼン自体のテクニック」が問われる状況になるかもしれない。でも、両方の要素が完全に満たされている状況なんて、そう多くはないハズだ。そう考えると、実際にはそんな「高度なテクニックを駆使したプレゼン」の出番なんてそんなに無いと思う。

じゃあ、そんなツメの甘い企画でプレゼンしたり、聞く気の無いクライアントの前で発表したりしなきゃいいじゃん?と思うのだが、何故かみんなやりたがる。

それは、儀式としての「プレゼン」、スライド・プレゼンテーションという形式=スタイルに固執する人たち、カッコにこだわる人たちが多いからである。クライアント側もそれを望むし、発表する側もやりたがる。クライアントの担当者でも、好きな人は、「さぁ、今日はどんなモノを見せてくれるのかなぁ…」と、まるでオモチャを待ちわびる子供みたいな目になってる人がいる。で、持ってきたオモチャが期待してたモノと違うと、途端にスネちゃったりする…。

内容じゃなくて、「プレゼンという行為を楽しんでる」と言うか、楽しんでないにしても、それをやる事で「仕事してる気になってる」というか…。プレゼンテーター(例えば私)の持ち込んだノートPCを見て、「お、○○ですね?新しいヤツですか?」とか「それCPUはPentiumですか? Celeronですか?クロックは?…」なんて嬉しそうに話し掛けてくる人に多い(別にそれ自体は悪いことじゃない。私もそーいう話は嫌いじゃないので…)

だから、そういうクライアントと仕事をしていると、頼んでもないのに、「大会議室用意しときました!」みたいな事がよくある。別にその日はプロジェクタなんか使うつもりないのに、顔をあわせた途端「へへ、今日は何を…(見せてくれるのですか)?」と揉み手しながら嬉しそうに近寄ってくる…。そんなこと言われたら、まるでそれ様に毎回意味も無く、「何か資料を用意しなくちゃいけない」みたいな気になってしまう(←だからって、実際にはしないが…)

勝てるレイアウト?

また、プレゼン自体の人的なテクニック以外に、「勝てるレイアウト」などという、画面のレイアウトサンプルが掲載されているケースもたくさんあるが、それらはほとんどデザインセンスゼロで、我々業界用語(?)で言うところの「地獄行き」ってヤツである。

参考にならない。…というか参考にしたくない。あんなんでホントに勝てるのか?とても勝てるとは思えない。いや、たとえ勝てたとしても、あんなのゴメンだ。(だって、死ぬほどダサイから…)

もちろん、企画書は中身である。見た目より内容が大事なのは重々承知の上だ。でも、あれはダメだ。ヒド過ぎる…。カッコいいとか悪いとか以前に、「物事を他人(ヒト)に分かりやすく伝える」という観点から言っても失格だし、レイアウトとして破綻している。出版物として世に出る前に、誰か文句言わないのだろうか?

~というわけで、ほとんどの本は参考にならない。とはいえ、いくつか見た中では、ごく一部「プレゼンには期待するな」「プレゼンよりも企画(書)が大事」「企画がダメならプレゼンもダメ」…と書いてある本もあった。それはその通りだと思う。

やるべきは、ちゃんとした企画(書)や提案(書)を作ることと、きちんと聞いてもらうシチュエーションを作ることで、大袈裟な機材や演出では無いと考える(「パワーポイントをプロジェクタで投影した場合のフォントサイズは何ポイントが適当か?」なんてことを、真剣に論じることに意味があるのか?)

 

ともかく、プレゼンごっこはやめよう。意味も無く、大勢で集まって、必然性も無いのに、わざわざプロジェクタに画面を大写しにして打ち合わせするのはやめよう。それで仕事してる気になるのはやめよう。

なお、ここではプレゼンテーション自体の是非について述べているわけではない。プレゼンテーションそれ自体は、アメリカなどでは当たり前だし、「プレゼンがちゃんと出来ないと、一人前のビジネスマンとして認めてもらえない」という認識だという話も聞く。日本でも外資系の企業では、日常茶飯事だ。郷に入っては郷に従えばいい。

ただ、「元々そういう下地の無い普段の仕事の中で、でそのスタイルだけ真似て、かなり不自然な『ごっこ』するのはやめようネ!」、「PCの画面をプロジェクタで写して、パワポで作った資料で説明するのがイコール『プレゼン』じゃないからネ!」と言ってるだけで、「プレゼンをする/しない」といった話ではないので、念のため。