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17. 議事録は何の為に書くのか?

 

個人的には、議事録なんて別に必要ないと思うんだけど、そう言っちゃうと話が終わっちゃうので止めて、議事録について少しばかり…。

基本的に議事録(と呼ばれているモノ)は、会議等での内容を簡潔にまとめたもので、後から見て簡単に内容が分かるものであれば、体裁は何でもいい。出席者が見て、会議の内容が思い出せればいいし、会議に欠席した人間が見て、自分の居ない時に何が話し合われて、何が決まったか?さえ分かればそれでいいハズ。

なのに、世の中には、この議事録というものに異常に手間や労力を掛ける人達がいる。今まで見た議事録の中で、(悪い意味で)強烈だったのは、あるクライアントの社内会議の議事録で、それは、まるで映画のシナリオ(脚本)のように、全て会話形式になってるものだ。

たとえば、

A(司会):「他には如何ですか?」
B部長:「会社概要のページもそろそろ変えた方がいいのではないか?」
C課長:「それついては既に進行中です」

…ってな感じ。

このセリフ形式の議事録、会議に同席している社員の一人(しかもその人は別に書記要員でも何でもない)が、人が話している横でカチャカチャとリアルタイムでノートPCに打ち込んで作っているらしいが、その苦労(労力)たるや、考えただけでゾっとする。

もちろんこんな議事録は必要ない。その場の雰囲気や臨場感が味わえる以外に何のメリットもない。会議全体を漏らさず記録しました、という事以外に何の存在意義もない。作る方も大変だったかも知れないが、読む方も同様に大変だ。そもそも長すぎるし、出席者の一人の見当外れの発言まで律義に記録されていたら、何処がポイントかも分からない。

何でそうなっちゃうのか?

これは典型的な責任逃れのパターンで、この端から見たらメンドーな作業も、議事録を作成している本人にとっては必ずしもそうではなかったりする。むしろ彼にとっては、内容をサマライズ(要約)する方が大変で、ただそのままダラダラと書いた方が(つまりそこに編集の手を加えない方が)ラクなのである。

プロセスを克明に書き残す、というのは、そういうことである。結果に責任も自身も持てないから、経緯を説明する。会議での決定事項に対して責任取りたくないから、心の何処かで「オレは関係ないよ」「言いだしたの、オレじゃないよ」と思っているから、あの時誰々が「ああ言った」「こう言った」といちいち発言者まで書き残すのだ。

もし、ホントにその場の状況を再現したいなら、ヴォイス・レコーダーで会議を録音して、それをMP3ファイルにエンコードするなりして、音声ファイルのダウンロードや、ストリーミング再生が出来るようにした方が早い。で、そのまま聴いてもらう。これは簡単。音声だったら、話し方や細かいニュアンス、ついでに誰が何処で笑ったか、いつ咳払いしたか、まで再現できるしネ。

でもそれはあくまで「音声の記録」であって、議事録の替わりにはならない。会議の要約にはなってない。それに全部聴くのに、会議と同じだけの時間が必要なわけで、当然誰も聴く訳がない。

しかもそこまで苦労して作った(会話形式の)議事録、ほとんど誰も見てないようなのだ…。この議事録は、イントラのプロジェクトチーム専用のディレクトリに掲載され、プロジェクトメンバーであれば誰でもいつでも閲覧できるようになっている…、のに、誰も見てない。これじゃ作った本人も可哀想だ…いや、そいう問題じゃない。誰でも一度見たら、次から見る気を無くすハズだ。

 

つまりこの組織、このプロジェクトにおいて、会議の議事録は、その存在自体が無意味になってしまっている。これでは、作成する意味がない。この状態で、書き方の是非を問うてみたところで、意味がない。これは今まで他のコラムで書いたように、言わば「ごっこ」に過ぎない。

議事録ごっこ。…議事録一生懸命書いてるオレ、ちゃんと会議して議事録書いてイントラに載せてる、そういうことちゃんとやってる俺達、ねえ見て!ちゃんとやってるでしょ?…それで仕事してる気になってるけど、良く考えたら無駄だよねぇ~機能してないなら、やめちゃえばいいのに。

でもそれは当事者(やってる本人)やメンバーなどの現場レベルだけでなく管理サイドにも問題はある。上の人間が何らかの「形」(=目に見えるモノ)を要求するからである。議事録同様、私があまり意味がない(=というか、無駄)と考えるものに「週報」とか「日報」というものがあるが、アレと同じで、管理者側は書類を提出させることで、何となく管理してる気になってるが、実際、その中身は必ずしもちゃんとしたモノであるとは限らない。かなりいい加減なモノである場合も多い。

 

私がまだ会社に勤めていたころ、私達同僚の間では週報は「創作日記」と呼ばれていた。金曜の夜の提出期限になってから、白紙のフォーマットに向かって1週間を振り返り、活動内容を書くのだが、当然全部覚えてるわけもなく、書けない所は想像で書くことになる。つまり、部分的に捏造するわけで、それが「創作~」と呼ばれる所以である。金曜の夜は、営業はみんな一斉にデスクに向かって創作活動に勤しむのである。(出さないと、帰れないから…。ネットやメールなんて無い時代だから、上司の机の上に物理的に紙を置いてから帰る必要がある)

私は、嘘を書くのもまた無意味だと思い、クライアントへの訪問や外出が無かった日や、細かい事務作業に追われて、何をしたか覚えてない日は、素直に何も書かずに白いまま提出したのだが、そうすると文句を言われる。事情を説明すると「思い出して書け」「何か埋めろよ」と言う。きっと、そのまま受け取ったら、自分がまたその上司に同じこと言われるんだろうね。「『思い出して書け』って言えよ」って。

一方、びっちり隙間なく書き込んで提出した人間は何も言われない。中身がどうこうじゃない。しっかりびっちり書いてあるから、それでいいのだ。 たとえ、半分以上嘘だとしても…。出せばいい。あー、何という無駄の悪循環…。(ホントに提出書類の多い会社は困ったもんだ)

それと同じで、議事録さえ出てれば、会議が、プロジェクト自体がちゃんと進行してると思い込む、それで全体を把握しているつもりになっている管理職の人も少なくない。そこでは、中身が云々じゃなくて、提出されているかどうか?が問題にされる。

さて、さきほどのクライアントの話に戻るが、会議中に何度も「あれ?議事録読んでないんですか?」という、明らかに嫌みとしか思えない発言を何回も聞いた。つまり、前の会議から次の会議までの間、メンバー間でやりとりをしてないのだ。ホントに大事な事なら、一応議事録には書いてインタラにアップしたとしても、個人的に確認するとか、念を押すとかすればいいのに、それはやらない。議事録書いた→イントラに載せた→後は知らない→見てない奴が悪い…。

何でそうなるか、って?

 

ハッキリ言って、仲が悪いのよ、彼らは。だから、この人達にとっての本当の問題は、議事録云々じゃなくて、お互いの「信頼感の欠如」。それがある限り(無くさない限り)、どんな議事録書いてもダメだし、何やってもダメだね、多分。そこで話し合ってるプロジェクトもきっとうまく行かないだろうネ、あれじゃあ…。

時々「議事録って、どうやって書いたらいいんですか?」「どういうのが良い議事録なんですかね?」などとクライアントから相談されることもあるけど、肝心な事がきっちり書いてさえあれば、コピー用紙の裏紙に殴り書きでも、ポストイットに手書きでも、体裁なんてホントは何でもいいハズ。それなのに、見た目に拘りすぎて、本質を見失っている人が多い。

だからそんな時は、「それよりも、議事録なんか書かなくてもいい仕事の進め方、会議の進め方を考えてみては如何ですか?」と答えるようにしている。